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カンボジア プノンペン → ホーチミン → ニャチャン → フエ →

ハノイ → ラオカイ → バクハ → ラオカイ → 中国へ




 長居をするつもりは無かったベトナムだけど、いやな事があればいい事もあって結局1ヶ月いた。
決定的な出会いもあった。
 
カンボジアからベトナムへ
 カンボジアで僕を襲った猛烈な下痢がやっと直りかけて、本調子ではないもののベトナムへ向かう事にした。
 サダにいた木下さんという口の周りに立派なひげを生やしておられる人と、"まこと"という名が同じという3人でベトナムのホーチミンへ向かった。相変わらずベトナムに入るまでは道は悪い。でもタイの国境と同じで、ベトナム側に入ると道がきれいになる。国境には三角の笠をかぶった女性の大きな看板があった。ベトナムに入った後は道も舗装され快適だった。
でも僕はこの国境を越えただけで差があるという事でなんとなく気持ちが重かった。
社会主義国家
 ベトナムといえば、やっぱりベトナム戦争というのが頭に焼き付いている。その戦争も社会主義と民主主義の戦いだった。結果として社会主義国家が樹立されたのだけど、ロシア、中国、キューバ、北朝鮮・・なんかイメージが悪い。ただベトナムに関しては不思議と悪いイメージは無かった。
 入国しても社会主義らしい革命を象徴する赤色をふんだんに使った労働者達が描かれた看板や何かのスローガンが書かれた赤い横断幕がぶら下がっていたりする、また中国の毛沢東と同じでベトナムではホーチミンが像になったり大きな絵になって国民の目にとまる所に描かれていた。やっぱり始めは日本との差というのはピンと来なかったけど滞在しているとなんとなく違いがわかってきた。

ボッタクリは普通?
 会う旅行者のほとんどがベトナムの事を悪く言っていた、でも日本ではOLを中心にベトナムブームが起きていて、料理はおいしいくお土産のベトナムの小物やアオザイなど魅力がいっぱいだと、いい話しか聞かなかった。入国する前にそのギャップを不思議に思っていた。入国してそれが分かったのは食事の時だった、レストランは高いので屋台などで食事をするが料金が現地人の値段と違うのだ、食事をしている地元の人に本当の値段を聞いても暗黙の了解のごとく口を割らない。
 そう、この国には外国人料金というものが存在していて大体が現地価格の2倍から3倍というところだろうか・・。メニューも2種類あって外国人用のメニューがある、もちろん高い。確かに高いと言っても日本より安いのだが。ここでOLたちの話とバックパッカーの話のギャップを理解する事ができるのだが、まずツアーのOLと貧乏旅行のバックパッカーは根本的に金銭感覚が違うのだ、OLたちは飛行機でベトナムINでホテルは高級ホテル、仕事のやっと取れた休みに貯めたお金で存分に楽しむ、日本と比べれば倍の値段でも安い、あー幸せ・・。その逆バックパッカーは移動も自分達で値段交渉、食事も安くおいしくたくさんをもっとうに探す。すると現地の相場が分かってくると、外国人料金であろうとだまされてるようで腹が立つ、これが答えだった。
 社会主義は皆平等に貧富の差は無く、富むなら国民皆でが信条だ。すると贅沢は敵だみたいに富める人間からは取っていいという話にもなる。実はこの外国人料金はベトナム政府の推進によるものらしい。なのでベトナムの人からすればそれはごく普通のことになる。もう一つとしてこの国は経済も豊かなハノイやホーチミンでも”セブンイレブン”が無い、なぜかというと、この国にはもともと値段は交渉で決めるという文化があり定価という文化が根付かないというのもあるらしい。
 しかしこれだけなら理解できるが、どうしても許せなくて頭に来るのは、札の数をごまかしたり、現地の人と同じ値段だけど明らかに具が少なかったりする事があるということだ。これは中国の社会主義だけど市場経済を取り入れている矛盾と同じで、社会主義なのに貧富の差がうまれお金に対する執着が出ているということの裏返しでもある。
 個人的に思うんだけど、中国が日本人ノービザにしたらベトナムもノービザにした、それは旅行者の流れをそのままベトナムに入れるためらしい、それなら料金に関しても中国と同じにしたらもっと観光客ふえるのにな。そしたら、ご飯はおいしいし、美人も多いし海はきれいだし、少数民族いるしこんないい国ないのにな〜。
怪しすぎるぞ・・大きなまこと
 僕と木下さんは256というホテルに泊まることにしたが、2人のまことは別な中級くらいの宿に行った。正確には大きいまことの話し相手として宿代を出すという条件で中くらいのまことは一緒の宿に泊まる事になったのだけど。
 この大きいまことは50過ぎのおっさんなんだが素性がよくわからない。第一プノンペンで会った一人旅のおっさん達にまともなのはいなかったけど・・(詳しくはカンボジア編を読んで)。この人は始めはビジネスでアジアに来ているとか言っていたけど結論から言うと女を求めてはるばるアジアまで来ていたのではないかと思う、もしくは若い結婚相手を探しに来てたのかもしれない。おっさんはいいホテルの受付の35-40歳位の女性を口説くことに必死だった・・デートを何度かして安いダイヤの指輪までプレゼントするから今日は俺の部屋に来いと言っていた。このおっさんは別の女性にも目をつけデートにどう誘うか必死に考えていた。このおっさんが怖いと思ったのはありとあらゆる薬を持っていて、睡眠薬とかまで持っていたという事、そしてその薬を実際に使った事がありそうな話をしていた事、さらにその薬をその女性に使う気でいたということ・・・おお怖い・・、このおっさんと女性がどうなったかは実は知らないのだけど。 
アオザイ美人とベトナム女性
 好みもあるだろうけど、僕はベトナムには美人が多いと思う、場所によっては5人中3人位美人だと思った事があった。
あと昔のヨーロッパなどで馬などに乗って駆け抜ける女性に魅力を感じることがあり、それは何らかの心理的作用があるからだと読んだけど、ベトナムのもっともポピュラーな乗り物50ccのバイクにまたがり、長い黒い髪をなびかせながら走り抜ける姿も同じなのかもしれない。日本ではあまり見かけなくなった黒くて長いさらさらとした髪もベトナムではそれが普通だ、茶髪より黒髪の方が個人的にはすきだ。
 大学生や銀行員、いいホテルのスタッフなどはアオザイを着ていた、ホーチミン以外では見なかった気がするけど。
アオザイの優雅さというかとにかく綺麗だった、それとベトナム女性のきれいさが合わさったら最強だ。写真を撮りたかったけど、チャンスが無かった・・。
 面白い事に気がついたのだけど、ベトナム女性は、ほぼみんなガニ股だということ。小さい頃からヤンキー座りをする習慣があるせいかと思ったけど、そうではなくて骨格上の問題らしい。誰から聞いたか忘れたけど、ベトナム女性は骨盤の形があまり良くなくて、出産とかに支障がある位だと聞いた事があった。本当かどうか分からないけど。
 ベトナムは女がしっかりしている国だと聞いていた、国内で争いが多かったので家を守るのが女達の役目で女達が強くなって現在にいたっているらしい。じっさい商売をしているのは女で、男達は寝ていたりする。交渉ごとも女がやっていた。
旅をしていてもヒシヒシと女性のたくましさを感じることができた。
ベトナム
 このベトナムは昔から中国や周りの民族と戦いが絶えず、近代になってもフランスの支配や日本の支配、大国の影響による内戦、中国との戦争などなど戦いの歴史だった、今は平和がおとずれているが、ベトナムに行くと戦争博物館やメコンデルタの枯葉剤による人間への影響や、戦争で傷をおった人々など・・戦争に関する事柄が多く目に入る。カンボジアからベトナムにかけていろんな国の思惑がぶつかった結果として悲しい歴史があるというのをみるといろいろと考えさせられた。歴史で勉強するのと実際目で見て感じるのとではまったく違うという事が分かった。
 ただ悲しい歴史も少しずつ癒しながら新しい方向へ向かおうとしているのもベトナムだった、教育水準の高さや、おいしい食べ物、アオザイ美人・・・などなどそのほかの魅力もたくさんあるいい国だ。
 そう考えるとベトナムと韓国って変に似てるよな、国家が分断したり犬食べたりとおもしろい。
はじめての危険とパンチ
 僕はこの7ヶ月の旅でたった一度だけ危険だと思う出来事があった。歩き回って小腹がすいた僕はフォーというベトナムヌードルの屋台に行った、前々から行きたかったが機会がなかったのでホテルに帰る前に行くことにした。その時一緒に中くらいのまことが一緒だった。その屋台は宿と宿の間の路地にあったのだが、僕等が行くと先客達がいた、15―18歳くらいの若者数人がフォーを食べている、見た瞬間僕は何か分からないけどピッと来るものがあって中くらいのまことに「なんだか嫌な予感しますよ」というと中くらいのまこといわく「大丈夫だよ」と言うではないか、この人は僕より旅慣れしているから信じてみるかとそいつ等と同じ椅子に座りフォーを注文した、中くらいのまことはしばらくいたけど、大きいまことと約束があるらしく途中で宿に帰った。僕一人になったが少年達はフレンドリーで会話帳を使いながら年齢や名前を聞いたりしてきた、すると一人の若者が地図を広げ観光名所を指差し教えてくれだした、警戒心が少し緩みそうになり始めたときに何かはっとした、地図は僕のかばんの上に広げられていて、なんとなくだが少年の一人の動きがおかしい気がして注意していると、カメラの入ったかばんをごそごそと触っているではないか・・これはもしかして・・パッとその地図を叩き落すと少年の一人が冗談だと言う・・冗談になってねえと切れそうになりながらも抑えてフォーを急いで口に運ぶ、そのうちもっと大きな地図を広げて話をしようとするではないか・・よし次ぎやったら冗談じゃねえよなと思いながらわざと聞くふりをした、やっぱり手が伸びてきてごそごそ触っている、ごらぁぁぁっ!!そのガキのむねにパンチである。ガキどもは散々に逃げていった。
 周りのベトナム人は分かっていたのだろう、僕が追い払ったのを少し緊張しながら見ていた。・・でもだここでパンチをしたが路地に連れ込まれて刺されたりしていた可能性があったと思うと怖かった。 カンボジアの貧しいけれど良い人という環境に長くいて少し危機感が薄れてたのかもしれない。
一気にハノイへ
 スリにあいそうになってから、なんとなくだが早く中国に行きたくなってきてメコンデルタツアーに行く予定を取り消して、ハノイまでのバスのオープンチケットを買って北上する事にしたのだった。ずっと一緒だった中くらいのまことはカンボジアに戻る事になり、木下さんは会えなくて僕一人で行く事に、残念ながらお別れとなった。
 まずニャチャンまで行く、海で少しぼけーとしてボートトリップに行くか悩んで結局態度の悪い旅行会社の受付にキレてホイアンへホイアンもなんだか思っていたほどではないのでそのまま乗り換えフエへ、フエはなんとなく好き少し滞在した。大学が近くにあり若者が多く美人も多かった。フォーボー・フエを食べた。しかし長居は無用とハノイへ。しかしハノイに着いたのが朝の5時30分でわけのわからんところに降ろされた、日本人はあまり使わない旅行会社を使ったから白人しかいない、その上白人達はさっさとタクシーを使い行ってしまった。残ったのはバイタクだが英語が話せないし、地図がまったく読めない。コミュニケーションが取れない僕は旅で鍛え上げた勘で安宿街に向かう、通りの名前も地図に載ってないところばかりだ、どうするかと考えてまず朝日の昇る方向から東西南北を確認してから、大きな通りを探した。小さい頃友達達と大きな川で遊んでいた時に自分達の周りに背丈より高い草が生えていて方向を見失い迷った時があったけどその時僕は年上の子達を引き連れて脱出した事があった、昔からそういう嗅覚だけは強かった気がするがそれがまた役に立った。
 みごと大きな通りから自分の場所を見つけてあとはひたすら歩いた。ハノイであった。
ホーチミン廊とフランスパン事件
 ハノイに旅行者がいないのに驚いたが、情報を集めたいので宿をまわり日本人を探した、やっと見つけた日本人と同じ部屋に泊まる事になりその人と中国国境まで一緒に行く事になる。
 その人と情報を交換した後に、ホーチミン廊に向かうことにした。ホーチミン廊とはベトナム建国の父ホーチミンの遺体が安置されている場所だ。ロシアのスターリンなんかと同じで社会主義の国では指導者たちの遺体に防腐処理して国民に見せる事で国家に対する忠誠心を高める、社会主義のシステム上よく使われる方法だ。
 ホテルからホーチミン廊までひたすら歩き到着、たくさんの地方からの修学旅行生や中国からのツアーなどがたくさん来ていた、でも僕等みたいな旅行者はカメラなどの持込が禁止されているのでボディーチェックを受けてから中に入る。兵隊達が所々に配置されていて動かない。赤いじゅうたんが敷かれ空調が働き温度を一定に保っている。しばらく歩くと兵隊に囲まれた所に透明なケースに入れられたホーチミンが横たわっていた、なんだか亡くなった後もこうしてみなに見られる事を日本人としてなんだかかわいそうに思いながらその横を通り過ぎた。その後ホーチミンが住んでいた家や博物館を観光して宿に帰るためひたすら歩いた。
 宿に帰ってから飯を食って、部屋でかじろうとフランスパンを買いに行った(ベトナムはフランスに統治されていたのでフランスパンやベトナムコーヒーなどがおいしい)。すると道端で2人の女性が大きな籠いっぱいのフランスパンを売っている、いくらか値段を聞くと若い方がまー許せる範囲の値段を言ったので買う事にした、横にいたおばさんさんはパンを袋に入れて渡そうとする、値段を確認するために再度聞くと2人でまったく違う値段を言うではないか、その上おばさんの方はツーリスト価格の5倍くらいの値段をふっかけてくる・・ありえない、若い方はあんた何言ってんの!そりゃ何でも高いじゃないよ!この人はそのくらい見抜くに決まってんじゃない!と言っているか分からないけど、ぶちきれでおばさんに怒鳴り始めた。いらないと立ち去ろうとするとおばさんは今度パンの数を増やしてこれで買えと言う、そんなに食えないからいらない。もうその段階で買う買わないよりおばさんたちが怒鳴り合いの喧嘩をはじめてそんなどころではなくなっていた。正直になればいいのに、金に取り付かれている。
kkノービザと中国
 僕が旅を始める少し前からベトナムが日本人とフランス人などに2週間限定でビザの免除をはじめた。中国がノービザにしたので中国経由の観光客を取り込もうという作戦らしい。ただこのノービザになって間があまり無かったので、旅行関係のホームページを探してもベトナムへのノービザの情報が無かった、不安に思いながらもカンボジアでベトナム1ヶ月のビザを取らずに入国した。問題なく入国できた。
 しかし、情報が無いというのは海外にいると本当に怖いと思うことがある、中国の3ヶ月ビザをベトナムのハノイで取れると聞いていたのに実際に行くと1ヶ月しか取れないうえに、値段が大きく変わっていた。中国を1ヶ月ビザで1度延長しても2ヶ月でまわるのはキツイ・・その上旅行会社に行くと日本人はノービザで中国に入った後にビザを取得できるといわれた、ベトナムで取れないのなら中国に入ってから3ヶ月ビザを取得するか・・でも取得できるのか?とか不安に思っていた。
鳥インフルエンザやSARSの少し後で日本人旅行者がほとんどいなかったから、情報も得られずドキドキしっぱなしで、中国との国境に向かうことにした。
 決断
 ベトナムのノービザが切れる今日、どちらにしても中国に抜けなければ不法滞在なので中国へ行く、でも少数民族を見たいという気持ちもある。だけど今ハノイから一緒の日本人は中国語が少し話せる、昆明に行くし僕と同じルートだ・・・
 ハノイの段階ではほぼ100%ベトナムには戻らないと決めていたのにどうしてだろう?気持ちが揺らぐ・・・ここで彼と別れると中国でシンドイかもしれないが。考えた結果、何でか分からないけど僕はベトナムに戻る事にした、少数民族を見てみたいけどそうでもないんだよなという気持ちがこの時はあったのに?この決断で貴重な体験ができることになるんだけど。
やっぱ導かれてる?リエンとの出会い
 中国からラオカイに戻るがサパへ行くバスはもう無くてラオカイに1泊することにした、旅行人に載っている安いホテルを探すが見つからない、駅前で安いホテルを探すしかないなと思い歩いていると、おっさん達がお茶を飲んでいてこっちへ来いと手招きする。なんだ?と思い近づくとまあ座れと言ってお茶を出してくれる。ベトナム語の会話帳で少し話しているとおっさん達がしきりに日本日本と言って向こうの方を指差す、お前と同じ日本人がそこに泊まっているぞとでも言っているのかと思っていたら、おっさんが立って隣の家に入って行くではないか、僕は他のおっさん達と話しているとベトナムの女の子を連れてきた、その子がいきなり日本語を話し出したからビックリ。彼女の名前はリエンで、日本に留学していて今ベトナムに里帰りしているらしい、いろいろ話していて、そろそろホテルを探さなくちゃいけないからと席を立とうとすると、もしよければうちに泊まっていけば?と言ってくれたから、またまたびっくりである。それで僕は彼女の家に泊まる事になったのだ。
 でもリエンと会う確率についてなんだけど、リエンは僕と同じ列車でラオカイに帰っていたんだけど、もし僕がハノイでいろいろ悩んでいたからラオカイに向かうのが1日遅れても早くてもリエンには会えなかった、リエンの日本を出発するのが1日違っても僕等は会わなかった、また僕が中国に行ってても会ってないし、すぐにラオカイの別のホテルに泊まっていても会わなかっただろう。ちょうどお昼過ぎくらいの休憩時間に僕がそこを通ったからおっさん達の目に留まったのだけど、おっさん達はリエンの家を改築をしていたから、働いている間は家の中にこもりっきりで出てこない。リエンが親戚の家に行っていても会えなかったし・・・考え方によってはすべての出会いは偶然から始まるのだけど、正直このリエンとの出会いは何かに導かれたとしか思えなかった。
 リエンの家は両親と妹、妹の友人が住んでた、弟がいるらしいけど彼は大学に行っているらしい。近所には親戚や友人もいて楽しい時間を過ごした、アンニュイ!兄ちゃん!という意味らしいがリーという親戚の女の子にそう呼ばれるとなんかうれしかった。リエンの家は改築中ではあったがきれいなバスルームもあり快適だった。部屋がその時は無くて僕の寝る場所は大きなイスの上で、布団を貸してくれて、蚊帳までかけてくれた。何よりうれしかったのは出来立てのおいしいお米をお腹いっぱい食べさせてくれた事、おかずもおいしいし、本当に楽しかった。
 よく他の旅行者に君はいい経験してると言われていたが、自分でも誰かが導いてくれているんじゃないかと思っていた。

 日本人ぽくない?
 僕が旅の途中多くの人から言われる事がある、「君は変わってるね、日本人とは何かが違う」というこの言葉、先に言っておくと顔のことでは無いみたい、僕の顔はちょっと目が小さいけど日本人らしい。
 「日本人とは何か違う」この同じ言葉をリエンと初めて会った時にも実は言われていて、そうじゃなければ泊めたりしないと言われたのだ。
 小さい頃から変わってるとはよく言われていたし、自分でも少し興味の対象が違うという事にも気がついていた。変な母親に育てられたからかもしれないし、、理由は謎だ。
 ただ日本人と違うと言われても、自分自身何が違うのかよく分からないし、何が違うのかと聞いてみても、言った人達もはっきり答えることができないから答えを得ることもできない。そりゃ他の日本人と比べて足が短いとか見て分かるものなら答える事はできるかもしれないが、目に見えない何か感じるものならそれはわからないかもしれない。
 ただ僕は結果としてうまくいっている気がするから、このまんまでいいと思ってるんだけどね。 でも気になる
 サパなんか行かない、バクハに行く
 ラオカイ周辺の少数民族のポイントとして有名なのがサパだけど聞いた話サパは観光客擦れしてるし少数民族の格好をした金族(ベトナム人)だったりするらしい、僕が見たかったのは花モン族だったからバクハへ行くことにした。 
 リエンの家に泊まって次の日ローカルのバスを使ってバクハへ行く、バスステーションまで送ってくれて何かあれば連絡してくれと言ってくれた。この日は金曜で明日、明後日と少数民族のマーケットを見る事ができる。移動するバスの中でも若い青年と言葉は無いけど楽しい時間を過ごす事ができた。バクハに着いてからも地元の若者と少し遊んだりしていい楽しかった。ただ泊まった宿の家族経営の宿の男性達は普通なのだけど、女性たちが少し変だったので気になったけど・・
 花モン族最高ー!!
 まずはバクハのマーケットじゃ無いところに行く、ここは観光客なんて僕入れて3人しかいなかった。そのうちの1人はハノイで知り合ったマレーシア人のおじさんだった。規模としてはバクハのマーケットの3倍はあった、花モン族がたくさんいるその場所はまるで花畑のようになり本当に綺麗だった。なんと表現していいのだろうか、バクハのマーケットのようにギュウギュウではなくて広い空間に花モン族がひろがっている。本当に独り占め状態だった。旅をしていて良かった、中国に行かなくて良かったと思った。最高!その一言だ。花モン族の服の刺繍は手縫いであの綺麗な模様を作る、今では既製品を買って着ける人達もいるとか。そして花モン族はその刺繍の技術でほかの民族達よりもお金を稼ぐ事ができ貧しくないらしい、それは履いているサンダルを見ると一目でわかる。
 とても興味深いのは、その少数民族の中に銀髪の白人の感じの少女達がいたこと、なぜ?年齢的には僕より若いから、彼等の親かそれより前に白人の血が入ったのか?でも銀髪ってあんまり見ないよな・・この国に関係がある国もアメリカやフランスだけど銀髪だっけ?分からないけどとても印象に残っている。
 このすばらしいマーケットを楽しんだ次の日バクハのマーケットを楽しんだ、正直言って前日のマーケットに比べればあんまりテンションは上がらなかったけど、綺麗なのには変わりなく楽しめた。そこでカンボジアからプノンペンまで一緒だった木下さんと再会し少し話した、木下さんは雑貨屋の買い付けに来ていたのでいつも忙しく動き回っていたけど、サパからのツアーで来ていたために時間が限られていてあまり買い付けができなかったみたいだった。
 ここにいた間いろんな少数民族に会う事ができて本当に見てよかったと心底思う。絶対また行く。
 一言言っとくと少数民族はこの格好で普通に生活しています、ある人が写真を見て”ここだけなんでしょ?”と言った。つまりは観光客のためのサービスでこういう格好をしていると思ったらしい。違います、世界は広いんですよ・・。

やっぱへこんで・・
 しかしいいこと続きで少し気持ちの緩みかけていた僕はバクハからラオカイに帰るまでに痛い思いをするのだ。
 ラオカイからバクハまではチケットがあり正規の値段で行く事ができたしリエンがいたので安心だった、またバクハから他の場所への移動もラオカイからバクハまでのスタッフだったので、なぜか正規の値段でよかった。しかし、バクハからラオカイは違うバスに乗ってしまった為にスタッフが違う・・・・そうまたボッテくるのだ、回りの客も正規の値段を教えてくれたり集金係りが言う事をこいつは高く言ってると手振りで教えてくれる。僕も行きはこの値段だ、これ以上出さないと徹底抗戦する。しかしかなり険悪なムードになるまでになった。財布を見せろと言うので、こういう時のためのダミーの財布を出し無いんだよ金がと言って変わりにカンボジアの100Rを渡すとそれでいいと言う、よし勝ったと思ったのもつかの間で、このバスは分岐点でラオカイではない方に行くのでタクシーに乗り換えろと言う・・・・もちろんタクシーにもお金を払うが壁に10000Dと書かれているのに当然のように20000D要求する、20000Dと言われた瞬間周りの客が俺を見る、どうなの?フツーに倍外国人料金があるならあなた達は俺を見らなくていいじゃん、フツーじゃないの?あーぼられてるわ見たいな目で見ないでほしい。もうラオカイでの親切、バクハでの楽しみ・・すべてを忘れてあの中国に行くか行かないかで迷っていた時以上に嫌いになりかけていた、もう戦う気力がうせた。その上金を払ったけど乗合タクシーは俺が思っていた場所ではなくて1KMくらい離れたバスステーションに着いた、外は雨がザーザー降っているキレ気味で地図を見せながらココって言ったじゃねえかと言うも分からないと言いながらみんなバスから降りてしまった・・・なんだこの感じ、人間不信を日本で感じた事はなかったが、すべての人が悪い人に見え始めていた、バイタクが乗るか?と聞いて来るが、交渉するのが嫌だから雨の中をトボトボ歩いてリエンの家までバックパックを背負って帰る。どうだった?リエンの言葉と僕を迎えてくれたお父さん達の表情を見るとなんだかココがベトナム唯一の避難場所に思えてホッとした。しかしこのときは本当ベッコリへこんだ・・・。
 親戚へのあいさつ回り
 バクハから帰ってくるとリエンが親戚周りをするけどついて来るかと聞いてきた、願ってもいない申し出で僕も同行させてもらう事にした。妹と友人のバイク2台に僕とリエンは乗り親戚の家へと向かう。赤土の道をひたすら走る、運転しているわけではないので僕は風景を楽しんでいた、この道を何人の旅行者が通った事があるんだろう?とか思いながら。
 何軒か親戚の家に寄り最後にその日お世話になる家に行くと言うかたちを何日か繰り返した。
 いろんな人とリエンの通訳を介してお茶を飲みながら会話をするのがおもしろかった。一般の田舎のおうちの中を見てまわりながら、これ何?あれ何?とかいろいろ聞いて楽しくてしょうがなかった。ご馳走は出てくるし、料理するのを見たり、親戚との付き合いを見たり、家畜の飼い方から子供の学校に関してまで一般の生活を見ることができたのはいい体験になった。なんというか日本の昔の田舎はこんな感じだったんだろうなという感じだった。中国より日本に近い気がした。
 ほんといい経験が出来た事に感謝感謝。

違和感なし
 親戚まわりしていて面白いのは、あんまり違和感を感じないことだった。外国人の見ず知らずの人間が家に来てもフツーにお茶を出してもてなしてくれる。フツーと言うのは友人の親に初めて会った感じくらいか、もし日本や外国の田舎なら外国人が来ているとかで家の人間も少し緊張するだろうし、近所の人間も見に来たりするのではないかな。
 だから非常にリラックスをして楽しめた、おもしろい。
香草
 ベトナムで食べるものには香草がよく使われている、一番よく食べるのがカメムシの匂いがする香草だ、昔自転車をこいでいると口にカメムシが入って臭くなった事があるがそこまでひどくは無い、だけど右手に味のしない野菜と左手にカメムシで、においを嗅ぎながら食べるそんな感じだ。僕は長く食べていたので、中国で食べる頃には好きになってた。
 ベトナム人はサラダの変わりにてんこもりの香草を食べる、臭くないものもあるし、ハーブも食べる。それをおかずと一緒に食べたりそれだけ食べたりするのです。
 豚から豚肉へ 犬から犬肉へ(泣・・)
  東南アジアはその日食べる分はその日買う、もしくはつぶすでなりたってる、僕もこれがいいと思う、食べ物を無駄にしなくていいし、なにより新鮮でおいしいから。僕がお世話になった家でも僕等が来たせいで目の前を走っていた鶏とアヒルの合いの子みたいな鳥は鶏肉になってしまったし。朝ブヒ―ブヒ―という声で目がさめて声がだんだん小さくなったほうに向かうと豚が真っ二つになって肉になっていた、僕は不思議と豚や鳥をつぶすのを見ても何も思わないのだけど豚のいた囲いをのぞくと、もう1頭豚がいて、なんだか気の毒だった。
 ベトナムは韓国と同じで犬を食べる習慣がある、市場に行くと牛や豚と一緒に犬が売られている。豚はよくて犬は駄目なのかと言われれば豚に申し訳ない。しかし犬は愛玩動物だから食べちゃさ・・と思うが、どうしようもないのである。
それに犬は安いと思うかもしれないが、意外と高級みたいで、祝い事のときとか皆が集まるときなどに出るらしい。
 別なお家に行った時きれいに並べられたお肉の中に犬らしき顔があった。本当に複雑な気持ちだった。リエンはこの日本人は犬は食べないからと言ってくれてたので食べなくてすんだが、それを聞いていないおじさん達は食べろ食べろと皿の上に肉を置いてくれる、料理されて何の肉か分からないので食べ無ければかわいそうとかは無いのだけど、足をそのまま料理したのが僕の上に載ったときは一瞬固まってしまった。でも1切れだけ別のおじさんのお家で食べたのでした。肉になったのなら食べないとやっぱり申し訳なくてね。友達の犬の皆さんごめんなさい、食べてしまいました。
体の中が全部酒
 いやしかし、ベトナムの男は朝から酒を飲むのです、朝ご飯の時にぽんとおじさんがコップに入った液体を出してくれた、水だと思って飲むとそれは酒なのである。
 リエンと親戚周りをした時に負けてなるものかと酒を注がれるがままに飲んだ、飲んだ酒はアルコール度数が50-60度くらいの酒だ、リエンのお父さんがお酒を飲まないのでリエンの家にいる間は飲まなくて良かったけど、親戚周りをしている間は毎日飲んで体が酒でできているような状態だった。
 僕は仕事で与那国島に行ったときに、40-60度の泡盛を大ジョッキで毎日3-4杯飲むというのを約1週間続けたが、蒸留酒だからか歩けなくなったりした事はなかった、でも今回は人生で始めて歩け無くなった、なぜか記憶はいつもはっきりしているだけに恥ずかしい・・そこの宴会が終わるとバイクに2人乗りで次の親戚の町へ行くのだが、僕はおじさんの後ろでぐっすり寝て、時々しっかりつかまれと、手をぐっと引っ張られたりする。僕は仕事をしていた時にスタジオの天井?照明をつるしたりする場所があるのだけど、古いスタジオとかだと丸太が渡している上で待機しながら寝てたりしてたから寝ながらでも何かをつかんでたりできるのだけど、バイクを運転している方にしてみれば頼むからやめてくれという感じだったのだろう。その後リックという女の子のお家のベットを使わせてもらって寝つづけたのでありました。ご迷惑おかけしました。
ベトナム語は難しい
 タモリさんがテレビでいろんな国のしゃべり方をマネをしているけど、その中でベトナム語をマネしていたのを見たことがある。なんというか鼻にかかった状態でニャニャニャァ〜、という感じか・。実際にそういう鼻にかかって照れてながら話しているように聞こえた。
 カンボジアでもタイでも現地の言葉を覚えて、いくらかコミュニケーションをとることが出来るようになったのに、ベトナム語はまったく駄目だった。駄目と言うより通じないところがどんなにがんばっても通じないと言うほうがあっている。外国にいて言葉を意識して覚えようとすると言葉の学習法みたいなものが自然と体に染み付いて、発音とかも真似でなんとなく通じるようになる、僕もはじめ日本語が話せるベトナム人と少し話した時ベトナム語の発音が出来ているとほめられた事があった、でもまったく通じなくて困った、ローカルの交通機関を使ったりすると英語も通じないとなると現地の言葉だけど、ベトナム語は苦戦した。しゃべらずに文法で筆談した方が簡単だった。
 リエンの家族とコミュニケーションをとりたいけど、ベトナム語が通じないし、国境付近だから中国語も少し通じるけど、そのときはまったく中国語を知らなかったから話せなかった。リエンのお母さんがこの人にベトナム語を教えなさいとリエンに言ったらしいが教えられても多分無理だと思う。リエンの家族と話すためにベトナム語を勉強しなくては・・・しかし難しい。
 コブラ酒
 リエンのおじさんの家に行ったら、なにやら忙しく動いている、何をしているのかと聞くと蛇をお酒につけるために捌くのだと、蛇酒なら僕の実家にもマムシを漬けたのがあるというと、「これも毒蛇だよ、コブラだよ」と言うではないか。コブラ?ベトナムにコブラはいるのか?そんな疑問を考えていると、リエンがお酒を作る為にわざわざ外国から持って来るんだと言う。
 そんな話をしてるとおじさん、麻の袋から素手でコブラをつまみ出すではないか!!それを木にくぎで刺すのだが、危ない、見ているほうがヒヤヒヤする、何気なくこの町に血清あるのと聞くと無いよとの返事、えっ?噛まれたらどうするの?と聞くと、時間を忘れたが何時間以内だったら助かると言っていた、いやここラオカイだよね、車で大きな街まででもかなりかかるんじゃないの・・?そうだから死ぬ人がでるんだよとの返事。まさに命がけなのである、そして抵抗するのは分かるがコブラよおじさんの手を噛まないで欲しい・・。しかしコブラはその牙を使うことなくウナギのようにパックリ開いてお酒にドボンと漬けられたのでした。その後おじさんは肝と血をお酒に混ぜてゴクッと飲んだのでした。
 ありがとう。リエンと家族の皆さん



 突然おじゃました僕を驚くほど普通に受け入れてくれたリエンと家族の皆さんありがとう。忘れられない貴重な体験をする事が出来ました。
 ご飯もたくさん食べたし、おいしかった。本当に楽しかった。
何人の日本人が同じような体験ができるかと考えると、なんだか得をした気分になります。


これからもよい友人でいてください。本当にありがとう
 最後もビミョー
 いろいろあったけど、リエンたちのおかげでベトナムが好きになって出国しようと国境で出国手続きをする、国境の審査官は初めから終わりまで多分卑猥なベトナム語を僕に教えて言わそうとしていたみたいで、周りの人達がニヤニヤしながら僕を見ていた。こんな事ではもうへこまないが、中国に向かい始めるとベトナム人が両替をするよう話し掛けてくる、少し立って話していると、審査官の一人がいつまでそこにいるんだ、さっさと中国に向かへと英語で行った後、兵隊につまみ出せかなんか言ってやがった・・・機嫌が悪かったのね。最後までやってくれましたベトナム。
 その後・・
 リエンとだがその後旅の途中もメールでやり取りをしていた、日本に帰ると何でか実家の母と文通やらメールのやり取りをしていた、手紙も来たりするが宛名は母になっていて端の方にPS誠への手紙も入っていますと今では僕より母さんと熱心にやり取りしている。いやいや出会いとはすばらしいものだなとつくづく思う、こんな事になると誰が想像したか・・うちの母さんまで一緒にこんなやり取りがあるなんて。
 しかし本当にリエンとは不思議な関係で、ラオカイで偶然会ったのもそうだし、その後日本に帰ってからも不思議な偶然が続いたりする、すべては偶然なんだが確率が高すぎる、不思議だ。 本当にいい経験、いい旅ができていると思う。 これからもリエンとその家族達とは長く良い友人でいたいと思う。
 まとめ
  短い間だったけど東南アジア3ヶ国を旅した、3ヶ国めのベトナムは旅人として、いろいろと勉強になった。良い経験も悪い経験も両方ができた、もう少ししてからベトナムに再チャレンジしてみようと思っている。
 僕は遺跡、少数民族、歴史とかが好きでテレビの世界不思議発見、世界ウルルン滞在記とかをよく見ていた。今僕はカンボジアからラオカイでそれらをリアル体験ができている、なんて幸せなんだ〜と幸せにひたっていたのでした。


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